RESENSE(レセンス)の「個性的なクルマ」に導かれて運命を感じ、「一生物」のMCストラダーレを手に入れ、惚れ込んでいる山田隆太郎さん。彼のクルマ人生とは。
導かれてきたクルマ趣味人生
「わたしの名前は山田隆太郎です」
――突然ですが、山田さんのクルマ趣味人生、一言で表現すると…?
「思えば、周りの人に、導かれてきたクルマ趣味人生でした」
そう振り返る。
親の都合で、小学校を卒業するまでバンコクで過ごした。バンコクでは日本から届く自動車雑誌を読み耽った。時はスーパーカーブーム。雑誌を切り抜き、ミニカーを買い、頭の中はいつだってカウンタックと2000GTでいっぱいだった。
中学になると日本に移住。車への情熱は尽きるどころか増して行った。
初めて選んだ愛車はトヨタ・ソアラ。2.0GT→2.0ツインターボ。2台乗り継ぎ、20代はあっという間に過ぎ去った。
30代。転職をし、仕事は絶好調。ポルシェを2台乗り継いだ。しかしその分、車に割く時間がどんどん減っていった。土日も働いた。もっと働くために、家も会社の近くに引越した。
「文字通り、『忙殺』されていましたね。でもあの狂ったような数年があったおかげで今があります。ほら、男って、仕事と人生、セットでしょう」
ここからパタリと車を手放す。それも10年近く。
「それでいいんだと思っていました。迷いはなかったですね」
「乗りたい車がわからない…」
その10年間、車への愛が消え失せたわけではない。
「ミニカーは買い漁ってました。それも高ーいやつ! はっはっは」
10年目にして山田さんは、はたと気づく。
「オレの人生、後何年だっけ。ミニカーでいいのかな…」
なにかの啓示だったのかもしれないと、今、振り返る。突拍子もないことのように思えるけれど、きっと山田さんにとっては、来るべくしてきたタイミングだったのだろう。
ポルシェに2台乗ったこともあり、ポルシェ以外のスポーツカーを探し始める。真剣に探した結果、1つのことに気づく。
「乗りたい車がわからない…」
10年のブランクに、否が応でも気付かされることになる。
付き合いのあった車屋さんを尋ねるも、やはり店主にこう言われる。
「山田さんよ、いったい何に乗りたいんだい」
山田さん本人も途方にくれた。
目線の先に、ポルシェがあった。
「もう一度、スポーツカーの王様を勉強してみるか…」
車趣味、第二章が始まった瞬間だった。
”マセラティ・グラントゥーリズモMCストラダーレ”
真剣になってポルシェ911のハンドルを握り、スポーツカーとはなにか、技術とはなにか、そしてポルシェ911とは何か。いわば学び直し、再入門の時期が続いた。
向き合えば向き合うほど、新しい気付きに至る。
「完璧なスポーツカーであるけれど、本能的に求めているのは、音やデザインにおける『官能性』かもしれない」
仲間に相談してみた。自分でも雑誌やネットを調べ尽くした。神様は徹底して物事を追究する人に微笑むのだろう。
”マセラティ・グラントゥーリズモMCストラダーレ”
甘やかなモデル名をまとう、1台の車を見つけちゃった、のである。
紆余曲折を経て、RESENSE(レセンス)に巡り合う。同時多発的に九州への用事ができた。「これは運命かもしれないなあ、と思いましたね。」気づいたら大分のショールームに山田さんはいた。
「河野代表の人間性につきますよ。電話の声を聞いた瞬間から、この人から車を買うんだろうなあと直感的に思いました」
「『一生のお付き合いをさせてください。』私、河野代表に、こう言われたんです。人生において、なかなか言われることがないですよね」
「その場でサインしました」
山田さんはマセラティのオーナーになった。
乗って初めて「ああ、私はこんな車を実は求めていたんだなと思いました。痺れるような音、うっとりする見た目。惚れるってこういうことですよね。」と振り返る。
「平日は仕事を一生懸命し、休日になると、駐車場からグラントゥーリズモMCストラダーレを出し、ドライブに行きます」
「聞いて下さい。今月、都内と木更津を既に4往復しています(笑)」
「一生物です。手放すつもりはありません」
「でもね、これまで述べてきた通り、やはり、わたしの車趣味は、常に『導かれて』きたものです。出会いは大切にしたいとも思います」
今日も山田さんは最愛のマセラティとランデブーしているはずだ。
「乗り終わってもね、しばらく車内にいます。余韻に浸るってやつですね」
にっこりと笑う山田さんの幸せな表情がいつまでも鮮やかな残像となって残っている。