RESENSE(レセンス)にとって、欠かせないパートナー。「FOURSIDE(フォーサイド)」の廣澤慧さんをインタビュー。「コミュ力」と「猪突猛進」に秘訣アリ。
33年間の人生は仲間とともあった
お客様と価値観を共有し、感じたことも観たこともない世界を見に行く。
そのためには、われわれRESENSE(レセンス)内のメンバーだけではなく、たくさんの仲間の力を必要とする。
なかでも異彩を放つのは、京都でもっとも古い神社「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」の目と鼻の先にある「FOURSIDE(フォーサイド)」を営む「廣澤慧(ひろさわあきら)」さんだ。
オリジナルカスタムやコーティング、車両販売業を営む。
インタビューのテーブルについた廣澤さんはまっすぐと筆者を見つめ「よろしくお願いします!」とよく通る声で言った。
廣澤さんの33年間の人生は仲間とともあったといってもいい。
高校を卒業して京都の自動車専門学校に入学した。2年間で自動車整備を学んだ末に国家資格を得た廣澤さんは20歳で右京区にある自動車ディーラーの持株会社の門を叩いた。
流行りの言葉を使うならばバツグンの「コミュ力」である。学校で習ったことは何ひとつ役に立たなかったけれど、仲間に恵まれた、いや、あらゆるメンバーを一瞬にして仲間にする能力に長けた廣澤さんは、その人望を買われ、たったの3年で「ホワマン(=いわゆる番頭さん)」になった。前代未聞のことだった。
さらにそこから本社勤務のホワマンになった。1日に扱う台数は70台。「壮大なテトリスみたいなもんでした」と振り返る。
社会人になって5年目で50人をまとめた。「まあ記憶力はよくなりましたね(笑)」と謙遜する。
独立を決意したのは30歳になった時だった。
頑張っていると人が集まってくる。力を求めてくれるようになる。「慧(あきら)、なんかええ車ないか?」。気づけば自分をハブに、販売や整備に繋げられる環境が出来上がっていた。結婚して3年が経っていた。
なんちゅう無鉄砲な(笑)
結婚した奥方の実家の隣に、いきなり土地を買った。「いま考えると、なんちゅう無鉄砲な(笑)」。白い歯をのぞかせながら笑って振り返る。
しかしその1年後は、隣にあった実家を建て替えて、カフェを新築した。「ほんま、勝ち筋みたいなもの、ゼロだったんですよ(笑)」
「これだ!」という直感があった。
しかし結果、うまくいった。最初は寂しかったけれど、その半年後には3人の従業員と、さらには塗装工場も2500万円かけて新築した。
「やってるときって、ほんま何も考えずに突き進むかんじ。気持ち先行型ですね。」
常に順風満帆だったわけではないけれど(事実、最初は200万円の赤字が3か月続いた)、子宝にも恵まれ、「気づいたらここまで進んでいた」といった感覚だという。
新たな転機となったのは、わたしたちRESENSE(レセンス)の代表、河野浩之との出会いだったという。
「自分たちだけでやっていると思考が固まってくると感じることがあります。河野さんは、それをぶっ壊してくれましたね。」
「最初に会った瞬間に、うまく言えませんが『これだ!』という直感がありました。」
「これからRESENSE(レセンス)の車を整備等でお預かりするために、さらに環境をよくしようとまた巨額の借金をして設備を拡充しました。」
「おかげで素晴らしい車たちを多くお預かりできるようになり、その結果、わたしたちの知見も貯まっています。」
ーー夢は、ありますか?
「夢ですか? ビッグになることです。」
「わたしたちは、どこまでいっても『修理屋』です。そこを受け止めたうえで、自動車ディーラーに負けないくらいの規模感と質で勝負していきたいですね。」
33歳の廣澤慧さんの目はどこまでも澄み渡り、「猪突猛進」という言葉がぴったりであった。